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終戦の日  NO 3076
[投稿日 2015.08.15]

     <今日の写真は友人のカメラマンが撮った朝焼けです> 8月14日にポツダム宣言を受諾し 翌日の15日正午に大東亜戦争 (太平洋戦争)における日本の降伏を国民に伝えた玉音放送があった 終戦の日 8月15日 あらためて平和の尊さを考える日でもあります 多くの犠牲の上に 今日の平和があることを忘れず 私たちに出来ることをして行きましょう  ここに戦争の犠牲となられた「特攻隊」の方の遺書ともいえる お手紙を掲載いたします 今では考えられない若い年代の方が 最後に綴られた思いと 今の私たちの幸せを考えさせられます 謹啓 御両親様には、相変わらず御壮健にて御暮しのことと 拝察致します。小生もいらい至極元気にて軍務に 精励いたしております。今までの御無沙汰致したことを お詫び致します。本日をもって私もふたたび特攻隊員に編成され 出撃致します。出撃の寸前の暇をみて一筆走らせています。 この世に生をうけていらい十有余年の間の御礼を申し上げます。 沖縄の敵空母にみごと体当りし、君恩に報ずる覚悟であります。 男子の本懐これにすぎるものが他にありましょうか。 護国の花と立派に散華致します。私は二十歳をもって 君子身命をささげます。 お父さん、お母さん泣かないで、決して泣いてはいやです。 ほめてやって下さい。家内そろって何時までもいつまでも 御幸福に暮して下さい。生前の御礼を申上げます。 私の小使いが少しありますから他人に頼んで御送り致します。 何かの足しにでもして下さい。近所の人々、親族、知人に、 小学校時代の先生によろしく、妹にも......。 後はお願い致します。では靖国へまいります。   四月六日午前十一時記す      神風特別攻撃隊第二御盾隊銀河隊 昭和20年4月7日 海軍一等飛行兵曹 松尾 巧 享年20才 佐賀県出身 乙飛17期

戦いは日一日と激しさを加えて参りました。 父母上様、長い間お世話になりました。私も未だ十九才の若輩で、 この大空の決戦に参加できることを、深く喜んでおります。 私は潔く死んでいきます。今日の海の色、見事なものです。 決してなげいて下さいますな。抑々海軍航空に志した時、 真っ先に許され そして激励して下さったのは、 父母上様ではなかったでしょうか。 既に今日あるは覚悟の上でしょう。私も魂のみたてとして、 ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、今日まで猛特訓に 毎日を送ってきたのです。今それが報いられ、日本男子として 本当に男に花を咲かせるときが来たのです。 この十九年間、人生五十年に比べれば短いですが、私は実に長く 感じました。数々の思出は走馬燈の如く胸中をかけめぐります。 故郷の兎追いしあの山、小鮒釣りしあの川、皆懐かしい 思出ばかりです。しかし父母様にお別れするに当たり、 もっと孝行がしたかった。そればかりが残念です。随分暴れ者で 迷惑をおかけし、今になって後悔しております。 お身体を大切に、そればかりがお願いです。親に甘えた事、 叱られた事、皆懐かしいです。育子、昌子の二人は私の様に母に 甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。 いつまでも仲良くお暮らし下さい。 私も喜んで大空に散っていきます。 平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、何卒よろしく お知らせ下さい。お願いします。御身大切にごきげんよう。 神風特別攻撃隊 大和隊員 一飛曹 塩田 寛 18才 昭和19年10月26日 レイテ沖にて特攻戦死



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