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母の命日によせて  NO 5796
[投稿日 2022.11.16]

今日は 17年目を迎える母の命日です 朝一番に お墓参りを済ませました 多くの皆さんに支えられ ご葬儀から今日まで過ごし 今でも その時の情景が鮮やかに脳裏に浮かびます 素晴らしいご縁をくださった 師と仰ぐ久世先生 そして塾生の皆さんに 心から感謝をしています ふっと回顧録を紐解きながら 『独り言』も一緒に 読み返してみました こんなにも大変な思いをされながら お越しいただき 塾生の皆にも 本当に良くしていただいて 岡山の 当時のお取引先だった方々も 前日から 祭壇いっぱいに 素晴らしい花を活けてくださり 全ての方々に 感謝をするばかりです 当時を振り返り 懐かしさと人の優しさを思い起こし ここに 『独り言』を転載させていただきます 長文ですので ごゆっくりご覧ください 「祈念の日」  NO 1335  今週のスケジュールは、様々なことが重なり大変な状況。そこに昨日はブッシュ大統領が大阪空港から京都へということも絡み、交通事情に影響が及び、時間に追われる移動で疲労困憊に陥っている。  そんな昨日の昼前、最も気になっていたご訃報の電話があった。前々からお通夜と葬儀の司会を依頼されていた広島のお方。<何とか担当を>と万策を練ったが、19日の夜までスケジュールがいっぱい、その皮肉な因果に断腸の思いを抱きながら地団駄を踏んだ。   再度、お電話をいただき、20日のご葬儀という日程をお決めになったと伺った。16日のご逝去で20日のご葬儀、5日間をご葬送に費やされるご心情にお応 えしなければと、その日は何とかして広島に参上するつもりでいるが、葬儀社の宿命という厳しい現実と体力の限界に挟まってしまっているところが情けない話だ。 「行ける!」ということになれば、19日の深夜か20日の早朝に出発となる。コンパクトと言っても車でなければ運べない音響設備があ る。片道350キロの行程だが、新幹線で一週間に5000キロの移動をした経験からすると楽なこと。ただ願うのは19日、20日の二日間が、現在のスケ ジュール以上に重ならないこと。 「どうか、行けますように!」  NO 1336 明日は、コンサートの準備が大変。果たして音響がうまく解決出来るのだろうかと心配。仕事の合間に試行錯誤を繰り返して確認をしようと考えている。  そんな中で広島行きの準備もある。明日はお通夜が行われるが、心残りいっぱいで申し訳ない思いに包まれていたら、四国の塾生が「取り敢えず私が参ります」というメールを送ってくれて感激。  それが可能となれば何より嬉しいこと。すぐに「出来れば」とお願いの返信。すると、何と、夜のメールには、今日すでに弔問に参上して四国に戻っており、明日に改めて出発してくれるとのこと。  また、九州の塾生からもメール、彼女からは「お通夜の司会をお手伝いします」とあり、東京の塾生も参列しますとあった。  これで私が行けなくなったら罰が当たる。明日のコンサートを終えてから音響を積み込み、深夜に出発というスケジュールを考えている。  数十回の走行経験のある山陽道、所要時間を4時間と推測。午前2時頃までに到着するだろう。  そんな状況で、今晩から明日の昼過ぎまでのバッティングがないように祈ろう。ついでに携帯電話の電源も切りたいが、それが許されない立場が辛く、今晩は、悶々とした夜を過ごすことになるだろう。 「担当出来ました」  NO 1338  ホテルに向かう深夜の峠、外気温が「2度」になっていたので心配していたが、朝から好天に恵まれ、故人の人徳を物語るようにあたたかな日差しを受けた葬送となった。  忘れてしまったCD機材、式場に設置された音響設備を使用するべき?と迷ったが、やはり空間環境に音質は欠かせず、昨夜のお通夜の司会を担当してくれた松山の塾生に頼み込み、チーフ・パーサーを同乗させて家電ショップを探してもらった。  近くにあると聞いた電気屋さんが日曜日でお休み、仕方なく市内の大型ショップでデッキとスピーカーがセットになったタイプを購入、接続してみたら何とか思っていた音質が流れて安堵。  お通夜の参列者数が多かったことを聞いてはいたが、最近の傾向では葬儀当日は減少するだろうと予想していたのが大間違い、入り切れないほど会葬者が来られた。  ご遺族を伴ってご寺院控え室に参上、挨拶に続いて塾生達の紹介、次に式次第にご無理なことをお願いしたが、会葬者の方々がご出棺までお見送りになる慣習を耳にしてシナリオを変更、ひとつは導師退出の後で進めることに。  開式前に塾生達と打ち合わせていた内容と異なることが多くあったが、いつもそんな体験をしているチーフ・パーサーがおり、「また始まった!」というような表情が垣間見えた。  九州、四国、東京の塾生達が大活躍、<居らなかったら大変だった!>という存在、ご遺族と共に感謝した。  開式前の「神変」ナレーションの一部を女性の塾生ということで予定していたが、満席の上に司会席の前にも多くの人が立ち、緊張の会場空間をつくるために強調型の司式バージョンで私が担当することになった。  7人のお孫さん達のお手伝いもうまく運んだ。式場に不幸でないひとときが生まれた感じ、私の前におられた会葬者の「お婆ちゃん、喜んでいるわよね!」という会話が聞こえた。   式次第の中で行った「星名国際登録証」の奉呈式だが、ナレーションをしながら周りの方々の驚きが伝わってくる。何人かの方の「凄~い」というお声も入っ た。これは私からのお母様へのプレゼント、ご宗旨が真言宗ということからお許しを得ずに勝手に進めたものだったが、BGMは「慈曲」から、高橋三鈴さんの 遺族を励ますためのオリジナル曲「時空を越えて」を使用した。  ご導師が退出され、ご親族代表の謝辞、そのフォローで皆様にお見せ申し上げたのが数枚の色紙、多くの方々が故人に感謝されるお言葉がしたためられたもの。お別れ時に塾生達が紹介するシナリオを描いていた。   幼い頃にお母様を亡くされ、二十歳過ぎにお父様を亡くされたという故人、そんなところから憧れておられたのだろうか、看護師の道一筋。晩年は婦長さんとし て多くの人達に慕われた素晴らしいお人柄、「人生のカーテンコールに拍手を」と申し上げたら皆さんが拍手。それが今回の私の大切な仕事だったように思っていた。  ご出棺後、皆さんにお手伝いをいただき音響設備の片付け、車に積み込み帰阪してきたが、開式前に遺族から「大阪に戻られてから読んでください」と頂戴した手紙、帰社して拝読したら感涙した。  私宛のもの、そしてチーフ・パーサー宛とあった。それは、おそらく我々がホテルに向かてからの未明に書かれたものだろうが「最後に親孝行が出来ました」という一文に手を合わせた。  帰路の山陽自動車道の車中、二人で反省の会話をしながら戻って来たが、中国道の渋滞で行きの倍の時間を要することなり参ったが、「行くことが出来てよかった」の思いを共有し、心地良い疲れとなった出張だった。  お母様とのご仏縁に衷心より合掌を申し上げ、塾生の皆さんに心から感謝申し上げます。  そうそう、お母様がお召しになられていたお着物は、ご主人と反物から選ばれたもの。仕付け糸が付いたままで、娘さん達のご希望で決められたという。そんな情報を耳に入れてくれたチーフ・パーサーが、そのことをマイクでコメントしたら嬉しそうだった。 助手席に座っているスタッフから「あれ、積みました?」と聞いて気が付いたのは宝塚トンネルの中を走行中、CDのデッキを積み忘れていたのである。  トランクと後部座席にいっぱいの機材、配線だけでもかなりの量、積み込んでいる最中に「空白」の瞬間があったのだろう。  スタッフが先入りしてくれている塾生達とメールのやりとり、岡山インターを過ぎた頃、広島の降り口のインター出口で待っていると連絡があった。  お陰で一般道から式場まで迷わずに直行、悲しみの塾生に再会をしてお母様に手を合わせ、すぐに機材の運び込み。 音が出なければ安心出来ず、長い配線を上下に通してマイクのテスト。問題のCD機材以外は完璧となり、塾生達と打ち合わせ。それからホテルへ向かったが、途中でコンビニに寄ってオニギリを買った。  部屋に入って時計を見たら午前3時前、メールの確認を終えてから独り言の打ち込み。これが済んだらシナリオの構想を始めよう。



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