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クリスマス  NO 3754
[投稿日 2016.12.25]


アメリカでクリスマスになると 貧しく困っている人々に
現金をプレゼントする男性がいた
彼はいつしか 『シークレットサンタ』 と呼ばれるようになった
こんな素敵なお話を クリスマスの今日お届けいたします ♡
(長文になりますので ゆっくりとご覧ください)


「ほかの誰かを助けることこそが、私たちの生きる目的なのだ」

1971年11月 23歳の ラリー・スチュワートは 会社が倒産し
路頭に迷っていた あまりの空腹に耐えきれず 
ついレストランに入って 取り憑かれたように注文してしまった 
請求書を出されようやく我に返り 
お金を持っていないことに気づいた 
そして何とか その場を取り繕おうとポケットの中を探すフリを
しながらも 警察に突き出されても仕方が無いと
思っていた時だった 一人の男性店員が 
ラリーの横でしゃがんで 20ドル札(現在約2400円)が
落ちていたと渡してくれたお陰で 彼は会計を済ませることができた

だが この人生最大の苦境に 偶然手に入れた20ドルが
後に 彼の運命を変える重大な鍵となる



1972年 運良く拾った 20ドルの残りを旅費に カンザスシティに
移り住んだラリーは 警備関係の会社を起こして懸命に働いた
結婚し子供も生まれた ラリーは幸せな生活を手に入れたかに見えた
1977年12月 不況で会社が倒産し その日の食事代にも困るほど
追いつめられた 貧しさのせいでラリーは我を忘れ 
銃を手に銀行に入り 強盗を働きそうになった 
だが 20ドル札を見てふと我に返り銀行強盗を
すんでの所で思いとどまった 改心したラリーは 1978年 
妻の兄からの援助を受けて セールスマンとして懸命に働いた
だが 彼は またしても試練を与えられる
1979年12月 会社の経営が思わしくないということで 
ラリーは解雇されてしまったのだ 
もう助けてもらうあてがないと 途方に暮れていた時だった 
ふと目についた売店に立寄り ポップコーンを注文した
店員の女性は暗い表情で 違う商品とおつりをラリーに渡した
ラリーは 彼女が困っているのだと思い おつりの中から 
20ドル札をプレゼントした 彼女は受け取れないと言ったが 
ラリーは クリスマス・プレゼントだと言って手渡した 
この日はクリスマスだった
女性は嬉しそうに礼を言った その笑顔がラリーを明るくし 
彼は 思いも寄らない行動をすることになった
そのまま ラリーは銀行に行くと なけなしの貯金を引き出し
白いオーバーオールに 赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出した
そして 困っているような人や 貧しい人に 20ドル札を 
クリスマス・プレゼントとして 手渡したのだ 
シークレットサンタが 誕生した瞬間だった 
20ドルは 大金ではなかったが 困っている人々にとっては 
大きな助けとなり 喜んで受け取ってもらえた 
それがラリーの人生にも 思わぬ影響を及ぼすことになる
家に戻ると 妻から銀行に お金が残っていなかったと聞かれた
ラリーは落としてしまったと答えた すると妻は怒るどころか
『仕方がないわね でもあなたは幸せそうね』 と微笑むだけで
文句を言わなかった
翌年の1980年 ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し
懸命に働いた そして その年のクリスマスにも 
道に立って人々に現金を プレゼントする 活動を続けた 
そして その金額は少しずつ多くなっていった
不思議なことに シークレットサンタとなって 
施しをすればするほど 会社の業績が上がり 
長年の切り詰めた生活から抜け出し家族のために
家や新しい車を買えるまでになった ラリーの妻も町中で
シークレットサンタの 噂を耳にするようになった
彼は 家族にも言っていなかったのだ
彼は それからも一年も休むことなくシークレットサンタの活動を
続けたのだが 9年目の1987年12月 
ついに妻にシークレットサンタが
ラリーであることがわかってしまった 
「すまない」 と謝るラリーに 妻は 
「素敵なことじゃない これからは もっと節約して 
たくさんの人を 助けられるように協力するわ」と答えた
以後 家族もラリーの活動を知って 陰から支えることになった
1995年 地元では すっかり有名になっていたラリーは
匿名を条件に取材に応じた
カンザスシティ・スター紙の マクガイヤー記者は
彼も家族も 一切表舞台に出ようとしなかったと話す
しかし報道されてから シークレットサンタの 正体への関心は
さらに高くなった 一方 ラリーは多くの人に感謝されるにつれて
ある人物に 会いたいという思いが募っていった
そして 1999年12月 ミシシッピ州の トゥペロという小さな町の
ある男性宅を訪れた その男性とは シークレットサンタの
生みの親だった 28年前の1971年 一文無しだったラリーが 
落ちていた20ドルに救われた日のこと 
本当の落とし主が現れたら困るので 逃げるように店を後にした 
ラリーは 我に返って真実に気づいた
20ドルは 落ちていたものとして男性店員が
彼にくれたものだったことに
男性店員は テッド・ホーンといい 当時のことを思い出した
ラリーは 彼がしてくれたことを いつか 誰かにしようと
思ったのだと話した  そして テッドの 20ドルがなかったら
刑務所に入っていただろうという
自分の人生を 正しい方向に導いてくれたお礼にと 
ラリーはテッドに 1万ドル(約120万円)の入った封筒を渡した
受け取れないというテッドに ラリーは自分が今あるのは
あなたのおかげだと引かなかった 
当時 テッドは 警察に突き出すのではなく 
自らの過ちに気づき 他人への優しさを知って欲しいと思って 
20ドルを差し出した それを ずっと覚えていて 
サンタ活動を続けたことには 頭が下がるとテッドは話している
テッドさんは ラリーさんから渡された1万ドルを 近所の
病気で困っている人たちや 
生活に苦しい人たちのために使ったという
人を思いやる気持ちは健在だった
そして ラリーのサンタ活動は全米に広がった 
2001年には 世界貿易センタービル爆破事件のあった
ニューヨークに行きホームレスや 職を失った人を中心に
2万5千ドルを配った 2005年には ハリケーンで壊滅的な 
被害を被ったミシシッピ州を中心に 7万5千ドルを配り 
27年間で配った総額は150万ドル(約1億8千万円)になった
だが昨年 シークレットサンタがついに
カメラの前に現れ正体を明かした
彼は 昨年 4月 食道ガンのため治療しなければ 
1ヶ月生きられないと 宣告されたのだ
正体を明かしたのは 自らの命の宣告を受け 
身近な人への思いやりを 広げて欲しいという 
メッセージを送りたかったからだろうと
マクガイヤー記者は 話します
その反響は大きかった 2日間で 7000通もの手紙や
メールが彼のもとに届いた 
大半は自分も シークレットサンタになりたいというものだった
その年のクリスマスも 彼は病気を押してサンタの活動を行った
そのお陰で多くの人が 笑顔でクリスマスを迎えられた
今年 1月12日 ラリーは58歳で静かにこの世を去った
それでも 彼の笑顔と 優しさは数えきれないほどの人の胸に
永遠の サンタとして刻み込まれただろう
生前 ラリーは シークレットサンタ協会を設立
会員資格は 少なくとも 1回 他人への親切な行為を行うこと

今でも 世界中から 登録の申し込みが後を絶たない

それでは最後に 素敵なクリスマスソングを ♪ ☆彡*.* ☆彡 

     
  <YouTubeさんからお借りしました>        



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